梅谷 真慈さん

自分を鍛えることのできる場所だから、僕は上山を選んだ

ウィーン……春になると、梅谷真慈さんの朝は草刈りとともに始まる。家の周囲や棚田がすっきり片付くと気持がいい。「目に見えて里山の風景が蘇っていくのは楽しいですよ」
春から夏にかけては、田んぼの準備に田植え、草刈りと忙しくなる。天気のいい日の午後は家の縁側でお昼を食べたり、パソコンに向かい、再び夕方から農作業。冬は仲間と山仕事をしたり椎茸栽培。薪割りや罠猟も行う。

農家であり、新米猟師であり、地域事業のスタッフでもある梅谷さんの毎日は忙しい。ボランティアで村の行事を運営する役割も果たし、消防団員でもある。

農家であり、新米猟師であり、地域事業のスタッフでもある梅谷さんの毎日は忙しい。ボランティアで村の行事を運営する役割も果たし、消防団員でもある。

目下の主な収入源は、集落で行う地域事業。外から人を招いての米づくり体験や観光ツアー、イベント、ほか地域支援のNPOの仕事も手がける。

目下の主な収入源は、集落で行う地域事業。外から人を招いての米づくり体験や観光ツアー、イベント、ほか地域支援のNPOの仕事も手がける。

若い頃から環境問題に関心があり、岡山大学の院では環境学を専攻していた。
「授業では日本の農業の課題、高齢化で耕作放棄地が増えていることや、持続可能な暮らしが廃れつつあることなどをさんざん取り上げるのに、どうしたら解決できるかについてはほとんど教わった記憶がないんですよね(笑)」
自分なりの答えを見つけようと、学生時代は各地の農村へ出かけて農業体験を行ったり、環境コンサルティングの会社でインターンをしたり、ネパールへスタディツアーに出かけたりした。そんな中で出会ったのが棚田団の活動だ。
月1〜2回上山へ通い、草刈りを手伝ううちに棚田が蘇っていくようすを見て、里山を復活させる一つの方法として手応えを感じるようになる。
「村に入って自分たちで草を刈って、田畑の手入れをして。本気で田んぼや森林を再生しようとしていることが伝わると地元の人たちも信頼してくれて、水の管理や野焼きのやり方、山仕事のことなどを教えてくれます。農業の大規模化よりも、これくらい小さな集落の単位で関係性を築いて、技術を受け継いでいくことの方が循環型の暮らしを実現できるんじゃないかと思ったんです」

棚田は一枚一枚の田んぼが小さいため稲刈りも大型機械が入らず手作業が多い。

棚田は一枚一枚の田んぼが小さいため稲刈りも大型機械が入らず手作業が多い。

棚田の中に茂っていた2ヘクタールはある竹林を梅谷さんは2ヶ月ほどかけて一人で伐採した。写真中央の民家裏手の竹林も、この後野焼きをして一気になくなった。

棚田の中に茂っていた2ヘクタールはある竹林を梅谷さんは2ヶ月ほどかけて一人で伐採した。写真中央の民家裏手の竹林も、この後野焼きをして一気になくなった。

そしてもう一つ。梅谷さんを農村へと向かわせたきっかけに、ネパールで出会ったひとりの日本人、垣見一雅さんの存在があった。20年以上ネパールに暮らし、バックパック一つで山村を渡り歩き村人のための支援を行ってきた人だ。
「彼にとってはバックがオフィスみたいなもので、病気で困っている人がいたらすぐお金を渡して病院に行かせたり、無職の男性には仕事に就いて自立できるように促したり。僕らが行った時は幼児教室をつくる手伝いをしました。もう70代ですが、身一つで衣食住、医療、教育、エネルギーなどあらゆるサポートを行っていて、一人でこれだけのことができるんだと衝撃を受けたんです」
何でも自分の手でできる人になりたい。そう思うようになった梅谷さんは、その後上山を選んだ理由を「自分を鍛えられる場所だと思ったから」と話す。

自分で仕掛けるのはもっぱら檻罠。シカがかかっていると嬉しくもあるが、命を戴くことを考えて気が重くなることも。

自分で仕掛けるのはもっぱら檻罠。シカがかかっていると嬉しくもあるが、命を戴くことを考えて気が重くなることも。

それでも大学卒業時には企業からの内定も得て、就職するかどうかでずいぶん悩んだのだそう。就職を蹴って上山での暮らしを選んだのには、大きく二つの理由があった。
一つは上山に出入りする「ゆかいな大人たち」の存在。
「大阪から通う棚田団のメンバーをはじめ、移住して棚田再生を本格的に進めている人や地域おこし協力隊など、当時から面白い人がたくさん出入りしていました。ひょっとしてここで活動していたら、田舎でも都会の会社に勤めるのと同じくらい社会人経験ができるんじゃないかと思ったんです。農家やお年寄りしかいない集落だったら、3年ほど社会経験を積んでから来ようと思ったかもしれません」

そしてもう一つは、生きるための知恵を授けてくれる地元の“おじい”たちが元気なうちに村に入った方がいいと思ったから。
「やっぱり5年後、10年後になると、上の世代の人たちがまだ現役とは限らないですよね。今すぐ村に入れば教われることも、何年後かになると時すでに遅しになりかねない。まぁ実際に来てみると、まだまだ皆さん元気ですが(笑)」

道で会う地元のおじいさんたちから「梅ちゃん」「梅ちゃん」と声をかけられる人気者。

道で会う地元のおじいさんたちから「梅ちゃん」「梅ちゃん」と声をかけられる人気者。

生業の一つとして、シカ革を加工してつくる革小物の企画販売も始める予定。

生業の一つとして、シカ革を加工してつくる革小物の企画販売も始める予定。

 

大学院を卒業後、2011年の秋から上山に暮らし始めて2012年から2015年の間は美作市の地域おこし協力隊として活動してきた。2015年度からは独立して、地域事業や農業で生計をたてている。
40年近く空いていた一軒家を改修して、今は奥さんの奈々さんもともに暮らす。2017年春には家族が一人増える予定…(!)と幸せ続き。

「近い将来、今住んでいる母屋の脇に、小さくても快適に過ごせる小屋を立てたいと思っているんです。今は週のほとんどを上山で過ごしていますが、先では好きな場所に自分で家を建てて、2カ所か3カ所転々としながら暮らすのも楽しいかなと思っています」

umetani08

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