西口 和雄さん

この小さな村が、世界を動かすかもしれませんよ。

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いわゆる〝地域おこし〟で話題になる土地には、必ず強力なリーダーがいる。
また、移住者が地方で仕事を持ち、新たな生活を築いて行くには、地元に頼れる相談相手が必要だと言われている。
上山で、その両方の立場にある人と言えば、誰もが認めるこの人、西口和雄さん。今さら紹介するまでもなく〝地域おこし界〟では広く知られる人だ。
しかし、本人はリーダー扱いされることを嫌う。メディアへの登場も少ない。講演で全国を飛び回ることもなく、農繁期にはいつも田んぼにいる。カラダを張って野焼きを行う。地域総出の出合い仕事には先頭を切って出て行く。棚田の集落の要職である「水番」として、毎朝毎晩、大芦池の水門を管理している。

上山で彼のことを「西口さん」と呼ぶ人はいない。地元の人も、自治体や企業からの賓客も、地域おこし協力隊でやって来たばかりの若い人も、誰もが「カッチ」と呼んでいる。誰も本名を知らないのではないか、と思えるほどだ。

上山で彼のことを「西口さん」と呼ぶ人はいない。地元の人も、自治体や企業からの賓客も、地域おこし協力隊でやって来たばかりの若い人も、誰もが「カッチ」と呼んでいる。誰も本名を知らないのではないか、と思えるほどだ。

「僕はリーダーではありません。ただし誰かが旗を振らないとビジョンはわからんから、旗振り役くらいにしといてください」
たしかに『上山集楽』では誰もがリーダーであり、誰もが同じ立場なのだ。全員が思い思いにやりたいことを仕事にしながら、人手が足りなければお互いに手伝う協働の関係。誰かの指示を待っていても仕事は生まれない。

1966年、大阪府東大阪市出身。コテコテの大阪弁も西口ブランド。

1966年、大阪府東大阪市出身。コテコテの大阪弁も西口ブランド。

かつてはプロのダイバーだった。しかしバブル期のダイビングブームに嫌気がさして、大手デベロッパーに転職する。最初は会長の秘書を務め、その後は工程管理や施工管理を行う、いわゆる現場監督となる。大手ゼネコンに発注する立場から、大企業の社長と対等に渡り合っていた。こうして、相手の肩書きとは関係なく、誰とでも一対一でつき合う今の生き方ができあがった。
手がけた仕事は造船所の建設や大手スーパーの建設などなど。年に数百億円が動く仕事。工程が一日遅れれば数百万のおカネが吹っ飛ぶ現場で、職人たちと仲良くつき合いながら、手がけた仕事を工程通りに成し遂げる技術を身につけた。

「売るためのお米ではなくて、食べるためのお米を作るんです」

「売るためのお米ではなくて、食べるためのお米を作るんです」

転機は1995年の阪神淡路大震災だった。
「ものすごい鉄筋の量を入れて、日本の厳しい建築基準で建てたものがアホみたいに壊れるんですね。あのようすを見て、壊れても自分で直せない都市を作ってしまう怖さを知りました。あの経験がなかったら、今でも相変わらず都会でちゃらちゃらしていたんちゃいますかね」

震災を機に退職し、独立。当時サービスの始まっていたソーシャルメディアを駆使し、「ブルーカラーが集まったら、世の中変えられる」などと言いながら、職人たちと共に自己啓発的な『職人道場』を開く。併せて、西成のあいりん地区の長屋12棟をリノベーションし、ゲストハウスやバーを開く。そのような活動を通じて、西口さんの財産でもある分厚い人間関係が作られて行った。

企業や自治体、さらには地域おこしで活躍する多くの著名人が集まり、宿泊する『さいぼう庵』。二階は西口さんの居住スペースになっている。

企業や自治体、さらには地域おこしで活躍する多くの著名人が集まり、宿泊する『さいぼう庵』。二階は西口さんの居住スペースになっている。

そのような中、初めて上山にやって来たのが2007年。もともと林業への興味から見学に来たものの、耕作放棄地に覆われた大きな谷を目の当たりにして驚いた。地元の写真家から、ここが一面の棚田だった頃の写真を見せられ、さらに衝撃を受ける。西口さんは試しに草を刈り始めた。言わばこれが、棚田再生活動の初めの一歩だった。
「あの時はだいぶ刈ったけど、たいしたことじゃないな、とも思いましたね。これならできるんちゃうか、と」

あとはデベロッパー時代に培われた、工程管理の経験が〝工期〟をはじき出す。そのためには何年かかるのか、どのくらいの人手が必要か、そして費用は?
「できる、と確信しました。その後も大阪から通いながら活動を続け、2011年、地域おこし協力隊として上山に移住したときに、テレビカメラの前で棚田の再生を宣言しました。できんのに言うたらただのアホですが、ビジョンが見えたから言うたんです。言うたら覚悟を決めて、最後までやらなあかんでしょう」

雨が多かった2016年。機械による稲刈りが難しく、手刈りで行った。隣は奥さまの西口しのぶさん。

雨が多かった2016年。機械による稲刈りが難しく、手刈りで行った。隣は奥さまの西口しのぶさん。

その後の活動については、このウェブサイトで紹介されている通り。それでは日頃、西口さんが心がけていることを聞いてみよう。
「米は買うより作った方が美味しい、ということからすべてを発想します。自分らが食べる米だから、ハゼ干しまでして作っている。だからさらに美味しい。東南アジアにはもっと大きな棚田がありますが、彼らも食べるために作っています。そして、そういう棚田は必ず美しいんです。一方で、日本の田んぼのほとんどは売るための米を作っています。だったら僕らは売るための米は作りません」

「農業は万国共通です。言葉がわからんでも、だいたい話は通じるんです。今でもこうして〝ハゼ干〟していることを話すと、多くの農家は驚いてくれますよ」

「農業は万国共通です。言葉がわからんでも、だいたい話は通じるんです。今でもこうして〝ハゼ干し〟していることを話すと、多くの農家は驚いてくれますよ」

若い移住者が増えていますが、彼らにいつも伝えていることは?
「覚悟を決めて来たからには、何があっても3年間は続けるように言ってます。
3年の間に上山で身につけたものがあれば、どこへ行っても生きて行けますよ。幸い、上山で暮らしていると都会に比べて現金の出番が少ないんです。山に行けば木というエネルギーが溢れているし、水は湧き続けている。食料は自分らで作っている。困ったことがあればいろいろな人が助けてくれる。家賃は月に一万円くらい。都会並みに必要なのは各種保険や年金、医療費、教育費、あとはわずかな日用品と服飾費くらいです」

行動の素早さも西口さんの大きな特徴。昨年の夏、地元津山のコミュニティFM局の社長と知り合い、その一週間後にはレギュラー番組を持っていた。その半年後には、こうして自宅を改装し、ラジオ局を作ってしまった。ここから上山のようすを日々発信する。放送コードぎりぎりの〝カッチ節〟は、2017年の春からオンエア予定。

行動の素早さも西口さんの大きな特徴。昨年の夏、地元津山のコミュニティFM局の社長と知り合い、その一週間後にはレギュラー番組を持っていた。その半年後には、こうして自宅を改装し、ラジオ局を作ってしまった。ここから上山のようすを日々発信する。放送コードぎりぎりの〝カッチ節〟は、2017年の春からオンエア予定。

さらに、借金を抱えた地域おこしなどあり得ない、とも付け加える。
「僕らは地域の外にある銀行のために田んぼで働いているわけではありません。地域のために働いているんです。そのためには、地域の人が地域におカネを払い、地域におカネが残る仕組みについて知恵を絞らないといけません。そのもとになるおカネは、たとえば地域内でのベーシック・インカムを作れないか。その財源として、2015年に導入された〝株主コミュニティ〟の地域版のようなものができないか。最近は、ずっとそんなことを考えています」

来客との賑やかな会話の中から、未来の田舎の姿が浮かび上がってくる。

来客との賑やかな会話の中から、未来の田舎の姿が浮かび上がってくる。

2016年〜17年の農閑期は、地域おこしで頑張る日本中の地域に出向き、その作戦を練っていた。人口200人にも満たない上山だからこそできる、と興味を示す金融機関もいくつか現れた。ここに同じような志を持った日本国内、さらにはアジアの各地域が加われば、強力な〝地域間経済圏〟ができるのではないか、と。
「その時は、また宣言しますよ。しかも意外に近い将来かもしれません」

冬の間は東南アジア諸国の農村も回る。バリ島では現地在住の丸尾孝俊さんにも再会。手持ち資金18万円でバリに渡り、事業を成功させた後、地元の人々に、学校、病院などを寄付、道路を舗装、伝統芸能の楽団を維持・運営援助、52人の孤児の里親になる、などの活動を続ける人だ。

冬の間は東南アジア諸国の農村も回る。バリ島では現地在住の丸尾孝俊さんにも再会。手持ち資金18万円でバリに渡り、事業を成功させた後、地元の人々に、学校、病院などを寄付、道路を舗装、伝統芸能の楽団を維持・運営援助、52人の孤児の里親になる、などの活動を続ける人だ。

西口さんが初めて上山に来て以来、今年で10年。棚田の再生は、約4分の1まで進んだ。しかしまだ、植林された森や竹藪があちこちに残っている。本当に、この棚田は再生されるのだろうか?
「やりますよ。しかも人が増えてきたから、時期は早まると思います。あと3〜4年くらいでしょうかね」
その頃には、〝自分たちが食べるための米〟を作る、日本最大級の千枚田が全貌を現す。上山が変われば日本が変わる。そんな言葉が、にわかに現実味を帯びてきている。

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