井上 寿美さん

ネット業界のど真ん中から上山へ。

今でこそ上山で棚田と格闘している井上寿美さん。しかし彼女のキャリアは、農業とは対極にありそうな、黎明期のネット通販業界に始まる。
1974年、大阪府吹田市の出身。関西外国語大学を卒業後、大手の子ども服メーカーに就職し、その会社では未開拓の分野であった通販の事業部に配属となる。ちょうどインターネットが普及し始めた頃で、後に転職することになった大手のネット通販会社も、その頃に創業。井上さんの所属する部署に出店の依頼が届く。

01

「当初はまったく売れませんでした。商品を詳しく伝えるには写真の点数が多くなりますが、その頃のネット環境には重すぎて」
2年目にして、ようやくTシャツが売れ始めた程度。しかし5年目、実店舗以外で初めて販売した新年の「福袋」が大ヒットし、立ち上げ当初は月商数千円だった事業が、この年、初めて月商一億円を突破する。

その後、福袋をヒットさせた大手のネット通販会社に転職した。時はフィーチャーフォンが登場し、携帯電話で画像が送れるようになった頃。ここでは当時サービスの始まったQRコードを巧みに使い、男子中高生の大量動員作戦に成功。担当する東京渋谷のショップは、これまた月商一億円を突破する。
その後は海外進出の牽引役として台湾事業の開設。ここでは商習慣の違いに苦しむものの、一年半くらいかけて何とか軌道に乗せたところで再び東京への転勤。ネット通販業界の成長と共に、井上さんの生活も激変を続ける。

もともと手で道具に触れることが好きで、家具づくりを学んだこともあるんですよ。

もともと手で道具に触れることが好きで、家具づくりを学んだこともあるんですよ。

東京に戻った頃、月に一回、新潟県十日町市の村おこしに加わるようになった。
「田んぼに入ったり野菜を育てたり、古民家を改修したりですね。自分の手で道具に触れながら、汗を流す過程が気持ちいいんです」
しかし、再び下った辞令は大阪だった。東日本大震災後、災害などのリスクが発生したときに重要な業務が中断しないように、東京で井上さんが所属している編成チームを大阪にも作って欲しい、とのこと。
「となると新潟には通えなくなる。と思っていたところに、新潟の村おこしのメンバーが、岡山にも同じようなことをやっている人たちがいるよ、と教えてくれたんです。それが上山でした」

耕作放棄地の竹藪を伐採。その後は、こうして竹を焼くと銃を撃ったような破裂音。

耕作放棄地の竹藪を伐採。その後は、こうして竹を焼くと銃を撃ったような破裂音。

という、実に慌ただしい会社員生活を通じて上山にたどり着いた。
ところで素朴な疑問。それだけ激務をこなしていると、週末くらい自宅でのんびり過ごしたいとは思わないのだろうか?
「都会での仕事と農作業では、カラダも脳も使うところが全く違うんですよ。そして何より、休みの日に自宅でぐったりしていると、それこそ会社のために人生を捧げることになってしまうじゃないですか」

こうして英田上山棚田団に加わり、上山での活動にも慣れてきた頃、再び辞令。今度は東京へ戻り、約50名の部下がいる管理職となる。
「新潟の村おこし活動には参加しやすくなったけれど、上山には行きにくくなるなぁ」
それでも諦めずに、月に1〜2回、交通費も時間も節約できる深夜バスで大阪まで行き、そこから棚田団のメンバーに拾ってもらって上山まで通った。

インタビューの途中、雪が降り始めた。一緒に住んでいる小磯香さんと、急いで洗濯物の取り込みにかかる。

インタビューの途中、雪が降り始めた。一緒に住んでいる小磯香さんと、急いで洗濯物の取り込みにかかる。

そんな生活を続けていたある日、「上山に家が一軒空いたよ」という報せが入る。リノベーションは自由に行っていいという。
「住むのかぁ、それもいいな、と思いました。通って関わるのと、暮らしながら関わるのとでは大きく違いますからね。また、上山には会社のように管理する人される人の関係がなくて、すべては自己責任で自由に動ける。しかも助けてくれる人は大勢いるという環境です。もう、飛び込んじゃおうかな、と」

こうして2016年の夏に10年間勤めた会社を退職。地域おこし協力隊員として、9月に上山に移住した。住まいの改修は、家の中にあるゴミや不要な荷物の処分や大掃除から始まる。軽トラック8台分くらいのゴミを必死に片付けた。実際の改修は、床、壁、押し入れ、トイレなど。梅谷さんはじめ『上山集楽』の強力な助っ人たちが手伝ってくれた。
「上山でも情報発信をしようと思っています。上山らしい人々の暮らしを伝えて行ければ、と。あとは離れを改修して民泊も始めます。フラッと来たくなった人のための、人の集まる場所づくりですね」

05

そうしてできあがった新居。やはり”女子好み”な空間があちこちに。

そうしてできあがった新居。やはり”女子好み”な空間があちこちに。

「わたしが仕事を始めた頃にはスマホの時代が来るとは思っていませんでした。であれば、これから15年後も何が起きているかわかりませんよね」
ただし、景観を守るだけ、伝統を守るだけの地域おこしであれば、それはいずれ行き詰まる、と井上さんは考える。つまり”攻める田舎”を目指すということ。
「ひとつだけ確かなことは、今では都会よりも田舎の方が未来を作りやすいということです。上山には、それを実現するための環境が整っているんですよ」

07

他の移住者を見る

移住者 一覧に戻る

© UEYAMA shuraku,

トップへ戻る
メニューを開く

上山集楽

上山集楽