上山の昔、今、未来。

戦争を耐え抜いた棚田の集落も、高度経済成長には勝てなかった。

経済的には豊かではなかったけれど、稲作を中心に守られてきた集落の暮らし。春は大芦池の水を数㎞先の棚田にまで均等に回すための、住民総出による水路掃除や水落とし、そして田植え。夏には蛍が舞い、秋には上山神社で収穫を祝う秋祭り。上山神社にはこの地方でも希なほど大きな演芸場があり、そこでは住民が役者を務める歌舞伎や舞が披露されていたとのこと。
「太平洋戦争中は食料の強制供出などもあり、思うようにお米が食べられない時期もありました。でも、この景色だけは変わりませんでしたよ」
と語ってくれたのは、今年90歳を迎えた片岡澄子さん。
変わり始めたのは高度経済成長期の半ば過ぎ。減反政策が始まる一方で、若い人たちは苦労が多く収入の少ない稲作を嫌い、都市部での賃金労働に流れました。ここ上山では高齢化が進み、日当たりが悪い水田から次々に減反され、耕作が放棄されて行きました。戦争にも耐え抜き、千年の歴史を誇る棚田の風景や暮らしや習慣が、経済成長の陰で簡単に消え去ってしまったのです。

2007年より、西日本各地から集まった有志により棚田の再生が始まりました。笹や灌木だけではなく、竹藪を切り倒し、野焼きを行うほど大規模な再生活動が今も続いています。

2007年より、西日本各地から集まった有志により棚田の再生が始まりました。笹や灌木だけではなく、竹藪を切り倒し、野焼きを行うほど大規模な再生活動が今も続いています。

再生された棚田の秋。1990年の写真と同じ場所です。撮影:高田昭雄

再生された棚田の秋。1990年の写真と同じ場所です。撮影:高田昭雄

2007年、大阪からやって来た有志たちが、耕作放棄されて以来、最初の草刈りを始めました。やがて人が人を呼び、彼らはNPO法人『英田上山棚田団』へと生まれ変わります。そして、棚田団の中から地元に移って活動を始めたグループが、地元の人たちと共に一般社団法人『上山集楽』を結成。両者協働による、棚田や棚田の文化再生の活動が本格的に動き始めています。
「わしらはあきらめとったからな。できるもんやらやってみぃ、ということで、最初は彼らの活動を眺めておったんよ。すると家の目の前の竹藪がいきなり消えてしまった。これには驚いた。やがて竹藪に隠れとった向こうの家まで見えてな。あぁ、あの家は電気がついとるから、今日も無事なんやな、なんてこともわかるようになった。もう、本当にうれしかったよ」
と語るは前出の永井岩夫さん。

自宅の庭に立つ永井岩夫さん。かつては背後に竹藪があり、棚田の風景は隠されていたという。

自宅の庭に立つ永井岩夫さん。かつては背後に竹藪があり、棚田の風景は隠されていたという。

© UEYAMA shuraku,

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上山集楽

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