上山の昔、今、未来。

見渡す限りの棚田、その規模は日本最大級。

もともと平野の少ない日本には棚田が多く、『日本棚田百選』が選ばれるほどですが、その中の最大の棚田でも1000枚ほど。それと比較しても8300枚という上山の棚田がいかに大規模で、かつ歴史的にも貴重なものか、おわかりいただけると思います。
しかし、この日本最大級の棚田群も10年ほど前までは耕作放棄され、雑草と笹の藪、あるいは竹藪や灌木に覆われた荒れた谷でした。そこに棚田再生を志す人たちが現れたのは2007年のこと。
……ですが、その話は後に回し、もう少し上山がどのような地域なのか、眺めて行きましょう。

1990年に撮影された棚田。耕作放棄され、笹や竹藪に覆われ、石垣もすっかり隠れていました。撮影:高田昭雄

1990年に撮影された棚田。耕作放棄され、笹や竹藪に覆われ、石垣もすっかり隠れていました。撮影:高田昭雄

2016年の春に亡くなられたお年寄りが残した歌碑。

2016年の春に亡くなられたお年寄りが残した歌碑。

ここ上山は、古くから米どころとして知られていました。江戸時代初期には銀山で栄え、大正時代には養蚕で栄えたこともありますが、いずれも興っては衰退して行く中で、いつの時代も稲作こそが命の源。
「昔は行商人がいろいろ来よったよ。遠く海の方から魚売りも来よった。お金じゃのうて、米と交換するんじゃ。そして行商人は米を背負って海に帰る。あれは、昭和の30年頃まで続いとったかなぁ…」
と話してくれたのは、上山の八伏地区で生まれ育った永井岩夫さん、80歳。日本が高度経済成長期に入るまで、この上山では米が貨幣の代わりになるほど大切にされていたというわけです。

かつては英田町上山。その後2005年、新設合併により英田町は美作市となり、上山も美作市上山となりました。

かつては英田町上山。その後2005年、新設合併により英田町は美作市となり、上山も美作市上山となりました。

© UEYAMA shuraku,

トップへ戻る
メニューを開く

上山集楽

上山集楽