棚田団

上山の棚田の救世主、
「英田上山棚田団」とは?

棚田団

この人たちがいなければ、上山は今とはずいぶん違った集落になっていたに違いない。『NPO法人 英田上山棚田団』(以下、棚田団)。かつて集落一帯に広がっていた棚田を復活させようと、耕作放棄田の再生を進める団体だ。
上山には奈良時代から築かれた千枚田があり、最盛期には8300枚の田んぼがあったと言われる。ところがそれも1970年代までの話。減反政策や集落からの人口流出によって耕作放棄地が増え、以降、すっかり笹や蔦に覆われた荒れ地となった。
そこへ、2007年に訪れたのが棚田団だ。大阪に住む有志30名ほどが月に1〜2度上山へ通ってはボランティアで田んぼの草を刈り、田に水を引く水路掃除を手伝い、ひいては自分たちで米もつくり始めた。目指すは上山に水田の広がる美しい風景を取り戻すこと。2016年現在、活動8年目を迎え、1500アール(全体の約2割)の棚田が再生の過程にある。

1975年。耕作放棄される前の上山。

1975年。耕作放棄される前の上山。

2008年。上の1975年の写真とほぼ同じ場所から撮影したもの。すっかり荒れている。

2008年。上の1975年の写真とほぼ同じ場所から撮影したもの。すっかり荒れている。

2015年。荒れていた田んぼが元の姿を取り戻しつつある風景。草を刈っても、お米をつくれるようになるには3〜4年かかる。(3枚の写真撮影:高田昭雄さん)

2015年。荒れていた田んぼが元の姿を取り戻しつつある風景。草を刈っても、お米をつくれるようになるには3〜4年かかる。(3枚の写真撮影:高田昭雄さん)

棚田団、始まりの話。

なぜ彼らは、上山へ通うようになったのか。すべては棚田団の一人のメンバーのお父さんが、たまたま上山へ移住したことに始まる。商社マンだったこのお父さんは、退職後に晴耕雨読の暮らしを送りたいと縁のあった上山に移り住み米づくりを始めた。その息子が、石黒佳世樹さんだ。佳世樹さんは父の作ったお米をもらっていたこともあり、せめて集落総出で行われる年に一度の水路掃除ぐらいは手伝おうと上山へ通った。上山では、高齢化により年々水路掃除に集まる人が減っており、作業もままならない。水路の維持も限界に近づいていた。そこで佳世樹さんは当時参加していた大阪の協創LLPという異業種交流会のメンバーに声をかける。するとみな二つ返事で「面白そう、行ってみよう!」という話に。

農作業ツアー第1回目の参加者は13名。棚田を覆う草や蔦をひたすら取り除く作業だったにも関わらず、都会暮らしの彼らには汗をかく喜びになり、作業後に飲むビールの美味しさもあって、その後みな上山へ通い始める。ついには「水路掃除だけじゃなく、この棚田を復活させよう」と壮大な夢を抱いたのが、このプロジェクトの始まりだ。その時はまだ、これほど速いペースで棚田の再生が進むことなど、誰も想像していなかった。

(左)活動初期から上山へ通っている棚田団代表理事の猪野全代さんと(右)石黒佳世樹(息子)さん。「月1回のペースでは、前刈った草がまた伸びてたりして、そう簡単に棚田を再生できそうにないってことはみんな薄々わかっていたと思うんです。ほんとによく来てくれたなと思うてます(笑)」。

(左)活動初期から上山へ通っている棚田団代表理事の猪野全代さんと(右)石黒佳世樹(息子)さん。「月1回のペースでは、前刈った草がまた伸びてたりして、そう簡単に棚田を再生できそうにないってことはみんな薄々わかっていたと思うんです。ほんとによく来てくれたなと思うてます(笑)」。

ついに上山へ移住

2010年には棚田団の西口和雄さんとしのぶさんが上山へ移り住み、活動は大きく加速する。美作市の地域おこし協力隊のメンバーも除草作業に加わり、地元の人たちと共同で草を一掃する野焼きも行うなど、雑草木はみるみるなくなり、棚田の石垣が姿を表し始めた。
「あっという間に竹林がなくなっちまうんだもの。ほんとにびっくりでよ」。変わっていく風景に誰よりも驚いたのは地元のお年寄りたちだった。

「まさか田んぼがこうなるとは夢にも思っていなかった。もうみんなあきらめとったからねぇ。棚田団の人らには足向けて寝られんよ(笑)」。家の前のヤブが一掃されたと喜ぶ、永井岩男さん。

「まさか田んぼがこうなるとは夢にも思っていなかった。もうみんなあきらめとったからねぇ。棚田団の人らには足向けて寝られんよ(笑)」。家の前のヤブが一掃されたと喜ぶ、永井岩男さん。

それから棚田団の現地メンバーは、棚田再生以外にもさまざまな地域活動を始める。学校や企業と連携し、田仕事をイベントにして上山を訪れる人を増やしていった。竹やぶに埋もれていた古民家を改修してカフェ「いちょう庵」をオープン、上山で採れたお米でお酒をつくり販売するなど、活動内容は多岐にわたる。こうした動きがきっかけで上山へ移り住む人も増え、2016年5月現在までに20〜40代の13名7世帯が新しい住民となっている。

毎年春から秋にかけて田んぼのシーズンになると、オレンジ色のつなぎを着た棚田団のメンバーが草を刈る様子が上山のあちこちで見られる。

毎年春から秋にかけて田んぼのシーズンになると、オレンジ色のつなぎを着た棚田団のメンバーが草を刈る様子が上山のあちこちで見られる。

NPO法人化と活動の広がり

2011年には大阪と岡山を拠点にしたNPO法人として認可を得る。これを機に、初期メンバーの一人、猪野全代さんが代表理事に就任。
2013年には現地メンバーが地元の住民とともに『一般社団法人 上山集楽』を設立した。棚田再生をベースにしながらも、集落内の移動手段や、エネルギー、地域医療などの課題、田舎でのライフスタイルそのものを改善しようとする試みを始めている。

美作高校ユネスコ部と一緒に行った田植え

美作高校ユネスコ部と一緒に行った田植え

こうした活動実績が認められ、2013年には日本ユネスコ協会連盟による『プロジェクト未来遺産』に登録、2015年には『JTB交流文化賞』を受賞。トヨタ・モビリティ基金の助成対象地域としても選出され、過疎山間地域での移動の課題解決に向けたプロジェクトも進行している。

西口さんいわく、上山が目指すのは「最先端の都市と片田舎が融合したような、懐かしくも新しい未来」。地元のお年寄りのもつ知恵や技術をリスペクトしつつ、新しいライフスタイルを確立していくことにある。一方棚田団は、こうした上山と都会に暮らす人たちをつなぐ架け橋となるべく、大阪での活動にもますます力を入れていく予定だ。

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上山集楽

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